東京農業大学陸上競技部。その100年を超える長い歴史の傍らには、常に「常盤松(ときわまつ)」という名の記憶が息づいています。
始まりの地、青山にそびえたご神木
かつて、東京・青山の地には一本の立派な松がそびえ立っていました。源義経にまつわる伝説も残るその木は、地域の人々に「常盤松」として親しまれるご神木でした。この緑豊かな地に東京農業大学が居を構え、その学舎から陸上競技部が産声を上げたのは今から100年以上前のことです。
しかし、その輝かしい歩みの詳細を記した初期の資料の多くは、激動の時代、とりわけ第二次世界大戦の戦火によって惜しくも消失してしまいました。現在、私たちがそのルーツを辿るには、わずかに残された断片的な記録と、先輩方の記憶を繋ぎ合わせるしかありません。
「皿」から「石」へ、込められた不変の願い
陸上競技部のOB・OG会である「常磐松クラブ」が設立されたのは、昭和10年(1935年)のことです。当時の大学の所在地が渋谷区常磐(現在の東、広尾付近)であったことから、その名が冠されました。
もともと「ときわ」の字は、皿という字を含む「常盤」と表記されていました。しかし昭和の初め頃、「皿は割れるから縁起が良くない、いつまでも変わらぬ強固なものであれ」との願いを込め、石という字を含む「常磐」へと書き換えられたと言われています。単なる字の書き換え以上の意味を持ち、何が起きても揺るがない、盤石な組織と精神を象徴するものとなりました。
戦火を越え、受け継がれる「強い意志」
終戦後、焦土と化した日本で多くのものが失われましたが、常磐松クラブの系譜が途絶えることはありませんでした。資料が焼失してもなお活動を継続させたのは、文字通り「石(いし)」のように硬く、強い「意志(いし)」を持ったOB・OGたちの存在です。戦後復興を信じ、未来の農大ランナーたちが再び襷を繋ぐ日を夢見た先人たちの情熱は、まさに「常磐(とこいわ)」のごとく不変のものでした。