OBOG PORTRAIT

活躍するOBOGの紹介

競技場、そして社会の第一線で「緑の誇り」を胸に活躍する先輩方の紹介です。

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多才なリーダー 福崎 勝幸 〜 地域への襷 〜

故郷を愛し、壁を越える。

ご紹介するのは、新潟県十日町市が生んだ農大陸上部の名士、福崎勝幸さんです。農大陸上部OB会長という重責を担う傍ら、地元・十日町で食とスポーツを通じて、地域社会に新たな風を吹き込んでいます。

雪国に根ざす「食」と「絆」

福崎さんのルーツは、日本有数の豪雪地帯として知られる新潟県十日町。この厳しい自然の中で培われた不屈の精神は、農大陸上部での活動、そして現在の多岐にわたる活躍の土台となっています。

伝統をつなぐ「へぎそば」: 地元では「へぎそば屋」を営み、十日町名物の食文化を守り続けています。つなぎに布海苔(ふのり)を使った、滑らかでコシの強い「へぎそば」のように、福崎さんもまた、OB会長として世代間の強い「繋がり」を大切にされています。

地域社会活性化のリーダー: 単に店を構えるだけでなく、地域社会全体の活性化支援にも尽力。地元の人々、そして訪れる人々が笑顔になれる仕組みづくりを、ランナー時代さながらのフットワークの軽さで実践しています。

車いすバスケで描く「ボーダーレスな未来」

福崎さんの活動の中で、いま最も注目されているのがパラスポーツを通じた次世代育成です。子供たちに車いすバスケを教える活動を積極的に行っており、特筆すべきは障害の有無に関わらず、健常者の子供たちにも車いすに乗ってもらい、競技を体験させるという点です。

「障害があるから助ける」という一方的な関係ではなく、同じ競技を楽しむ仲間として尊重し合う。この体験こそが、真の共生社会を築く種になると福崎さんは信じています。

✍️ 編集後記

陸上競技で培った「前へ進む力」は、いま形を変え、車いすのタイヤを回す力や、美味しい蕎麦を打つ力、そして地域を元気にする力へと昇華されています。農大陸上部OB会長として後輩たちを温かく見守りながら、地元では子供たちのヒーローとして走り続ける福崎さん。その姿は、私たちに「現役を退いてからが、人生の本番である」ということを教えてくれています。十日町を訪れた際は、ぜひ福崎さんの打つ「へぎそば」を堪能してみてはいかがでしょうか。

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絶対王者を打ち破った「勝負師の執念」 三橋 稔 〜 箱根駅伝1区区間賞ランナーが魅せた農大魂のDNA 〜

最後の1センチまで泥臭く粘り勝つ。

農大の歴史において、今なお語り継がれる屈指の名勝負があります。1981年の箱根駅伝で1区区間賞を獲得し、卒業後も実業団の舞台で日本陸上界を揺るがす大金星を打ち立てた三橋稔さん。土壇場で発揮される凄まじい勝負強さは、まさに「農大魂」の象徴です。

伝統の松葉緑を背に掴んだ栄光と、神戸製鋼への道

三橋さんの名を全国に知らしめたのが、1981年(第57回)の箱根駅伝でした。各校のエース級がひしめく重要区間である「1区」において、見事なスパートで並み居る強豪を退け、箱根駅伝1区区間賞を獲得。伝統の松葉緑のたすきをつなぎ、チームに最高の勢いをもたらしました。

農大卒業後は神戸製鋼の陸上部へと進み、実業団というトップレベルの環境でさらなる泥臭い鍛錬を重ねていきました。

絶対王者・旭化成を撃破した「伝説のアンカー勝負」

その鍛錬が実を結び、日本陸上界に語り継がれることとなったのが、1984年1月15日に開催された第35回朝日駅伝です。
当時の駅伝界には、宗兄弟らを擁し全日本実業団駅伝(現ニューイヤー駅伝)4連覇、朝日駅伝6連覇と「第1次黄金時代」を築いていた絶対王者・旭化成が君臨していました。その最強軍団に、神戸製鋼のアンカーとして真っ向から挑んだのが三橋さんでした。

勝負は、日本選手権5000m・10000m優勝経験のある「元祖駅伝男」と称された旭化成のエース・佐藤市雄選手との壮絶なデッドヒートへ。勝山公園のゴールへと向かう長い直線コース、凄まじい勢いでなだれ込む両者のスパート合戦の末、三橋さんは最後の最後で胸ひとつリードし、両手を高く突き上げて歓喜のゴール。見事、絶対王者に土をつけたのです。

子供たちの心を揺さぶった「本物の熱狂」

この劇的な大デッドヒート劇は、沿道で観戦していた子供たちの心に強烈な衝撃と感動を与えました。レースが終わるやいなや、興奮した小・中学生たちが路上へ駆け出し、何度も何度も競い合い始めたほどです。

それはまるで、映画『ロッキー』やアニメ『あしたのジョー』を観た翌日に、誰もが思わずシャドーボクシングをしてしまうような純粋な熱狂でした。理屈を超えて観衆の感情を揺さぶる走りこそ、三橋さんの真骨頂でした。

✍️ 編集後記:引き継がれる「勝負強さのDNA」

どれほど強大な壁が立ちはだかろうとも決して怯まず、最後の1センチまで泥臭く粘り勝つ——。
1981年の「箱根駅伝1区区間賞」という華々しい実績から、神戸製鋼での「絶対王者撃破」に至るまで、三橋稔さんが見せた鬼気迫るスパートと歓喜のガッツポーズは、時代を超えて今も私たちの胸を熱く焦がします。この勝負強い農大魂のDNAは、三橋さんの伝説的な走りを通じて、間違いなく私たち、そして未来を走る後輩たちへと力強く引き継がれています。

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裏方から日本一へ、そして「再生の伴走者」へ。
努力の求道者
髙橋 和則 〜 歩む道 〜

静かなる情熱の歩み。

次にスポットを当てるのは、農大陸上部が生んだ不屈の競歩選手、髙橋和則さんです。髙橋さんの現役時代、そして現在の活動を知る人々は、敬意を込めて彼を「努力の人」と呼びます。

髙橋和則さんの活動写真

マネージャーから日本一への「大逆転劇」

髙橋さんの物語は、意外な一歩から始まります。当初、髙橋さんは選手としてではなく、部を支える「マネージャー」として農大陸上部の門を叩きました。しかし、その才能を見抜いたのが、恩師である故・高橋重清先生でした。

「競歩をやってみないか」――その一言が、髙橋さんの運命を大きく変えることになります。裏方として選手を支える立場から、自らが路上の勝負師へ。恩師の期待に応えるべく、髙橋さんの想像を絶する挑戦が始まりました。

多摩川に刻んだ「孤独な足跡」

髙橋さんが日本記録を樹立するまでになった裏側には、血の滲むような自主練がありました。世田谷のキャンパスを拠点に、一人多摩川へと向かう日々。

50〜70km

一人で踏む練習の距離

日本記録

孤独な練習が導いた頂点

景色が変わらぬ川沿いで、己の呼吸と足音だけを頼りに歩き続ける。誰が見ていなくとも自分を追い込み続けた時間が、彼を日本一の座へと押し上げたのです。

広島に灯る「再生の砦」

現在、髙橋さんは広島を拠点に活動されています。自ら設営した「合宿所」では、怪我に泣き、競技人生の崖っぷちに立たされた選手たちを受け入れ、心身ともに再生させ、再び競技の場へと送り出しています。

「もう一度、歩かせたい、もう一度走らせてやりたい」

その一心で選手を預かる姿は、かつてマネージャーとして部員を支えた「献身の心」と、日本一を掴んだ「勝負師の知恵」が融合した、髙橋さんにしかできない聖域です。また、育ててくれた恩師や支えてくれた人々への感謝を片時も忘れず、「恩義への襷」を繋ぎ続ける誠実さも、多くの人を惹きつける魅力のひとつです。

✍️ 編集後記

髙橋和則さんの人生を辿ると、「置かれた場所を耕し、自らの足で道を切り拓く」という力強い意志を感じます。マネージャーから日本一へ。そして現在は、傷ついた若き才能を癒やす「再生の伴走者」として。壁にぶつかり立ち止まりそうになったら、広島で選手と共に歩む髙橋さんの情熱を思い出してください。そこには、再び立ち上がるためのヒントが必ず隠されているはずです。

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山から箱根路、そして生涯現役へ。
可能性を証明し続けるリーダー
鈴木 裕二 〜 走る人生 〜

努力と可能性の象徴。

今回スポットを当てるのは、農大陸上部の歴史において「努力と可能性の象徴」として語り継がれるレジェンド、鈴木裕二さん(現役時代は加藤裕二さん)です。強豪・農大において、前例のない異色の経歴から主将へと上り詰めたその歩みは、今も多くの人々に勇気を与え続けています。

鈴木さんの活動写真1
鈴木さんの活動写真2

登山部から箱根駅伝常連校への「無謀なる挑戦」

鈴木さんの陸上人生は、一般的なエリートランナーとは大きく異なります。高校時代に所属していたのは、陸上部ではなくなんと「登山部」。大学入学を機に農大陸上部の門を叩きましたが、当時の農大は箱根駅伝の常連であり、常に上位を争う全国屈指の強豪校でした。

当然、周囲は海千山千の猛者ばかり。「素人が付いていけるはずがない」――そんな厳しい現実が目の前に立ちはだかりました。しかし、高校時代の山登りで培われた強靭な足腰と、地道に一歩ずつ登り詰める不屈の精神力が、鈴木さんには備わっていました。周囲の想像を絶する猛練習を重ね、鈴木さんはトップランナーとの距離を驚異的なスピードで縮めていったのです。

「素人」から「箱根の主将」への大躍進と、衰えぬ情熱

鈴木さんが残した足跡は、陸上部の歴史に深く刻まれています。

誰もが認める主将へ

たゆまぬ努力と誠実な人柄が認められ、最終学年にはなんと部の「主将」に就任。そして、誰もが憧れる箱根駅伝の舞台を走るランナーへと成長を遂げたのです。4年次、長距離ブロック主将を任された鈴木さんは、短距離ブロック主将の藤田さんと固く手を結び、部の心を一つにまとめ上げました。長距離と短距離の垣根を越えたチーム一丸の熱い結束は、当時「不可能に近い」とまで言われていた関東インカレ一部復帰という“奇跡”をもたらしたのです。この劇的な快挙と、「素人からでも、ここまでやれる」と証明し続けたその背中は、チームに計り知れない勇気を与えました。

社会人になっても走る執念

卒業後も鈴木さんの走ることへの情熱は衰えません。仕事の昼休みには皇居へと繰り出して走り込み、国内屈指の歴史を誇った「青森東京間駅伝」には千葉県代表として出場。仕事と競技をハイレベルで両立させる、まさに「走る社会人」の先駆けとなりました。

後輩へ繋ぐ背中と、65歳を超えても見据える「健康社会」

鈴木さんは自らの経験を自分だけのものにせず、次の世代、そして地域社会へと還元し続けています。

母校の後輩たちへの指導

現役を退いてからも大学へ頻繁に顔を出し、後輩たちの指導に尽力。かつて自分が壁にぶつかったからこそ分かる若者たちの悩みに寄り添い、温かいエールを送り続けました。

生涯現役の市民ランナー

65歳を過ぎた現在も、鈴木さんの足が止まることはありません。地域の市民ランナーたちと同じ目線で共に汗を流しながら、陸上競技の発展と、誰もが元気に暮らせる「健康社会の実現」に向けて走り続けています。

✍️ 編集後記:生涯現役、走り続ける「情熱の足跡」

高校時代の登山部から始まり、箱根の山へ、そしてシニアとなった今もなお現役ランナーとして地域を引っ張る鈴木裕二さん。その人生の軌跡は、「環境やスタートラインを言い訳にせず、ただひたすらに前を向いて歩みを進めることの尊さ」を私たちに教えてくれます。鈴木さんが今も刻み続ける足跡と、周囲を巻き込む温かい笑顔は、これからも多くの人々に走る喜びと、健やかな未来を届け続けてくれるはずです。

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「仲間と共に走った」誇りを胸に。
友情が拓いた努力の道
鈴木 諭 〜 生涯ランナーの誇り 〜

仲間を信じ、諦めずに走り続ける。

ご紹介するのは、平成8(1996)年卒の鈴木諭さんです。高校時代の挫折や受験の失敗を乗り越え、箱根駅伝の名門・農大陸上部への門を叩いた鈴木さん。そこで出会った仲間との強い絆を胸に、55歳を迎えた今もなお、生涯ランナーとして走り続けています。

憧れから始まった、名門・農大陸上部への挑戦

鈴木さんの陸上への想いに火をつけたのは、1991年の東京世界陸上。谷口浩美選手が男子マラソンで優勝する姿を間近で観戦し、「自分もいつかフルマラソンを走りたい。身体が続く限り走り続けたい」と強く心に誓いました。

浪人生活を経て東京農業大学農学部林学科に入学した鈴木さんは、同好会的な活動がないか尋ねるため、胸を躍らせて陸上部の部室を訪ねます。対応してくれた女子マネージャーの案内で出会ったのが、名将・故高橋重清先生でした。

「何年間かは全く走ってないな。顔を見ればすぐ分かる。とりあえず明日からグランドに来てみろ」

先生の温かい一言で練習に参加すると、周囲には新聞や雑誌でしか見たことがないような全国屈指の強豪校出身者ばかり。あまりのレベルの違いに気圧されながらも、陸上への憧れと熱意から、鈴木さんは食らいついていくことを決意します。

人生を変えた青雲寮での誓い:同期16人の絆

しかし、現実は甘くありませんでした。厳しい上下関係とハードな練習に「自分には無理だ。皆に迷惑をかけてしまう」と追い詰めてしまった鈴木さんは、4月の新入生歓迎会後、青雲寮で行われた1年生ミーティングで「辞めさせてほしい」と正直な気持ちを打ち明けます。
その時、絶望のふちにいた鈴木さんを救ったのが、同期の仲間たちの熱い言葉でした。

日向君の言葉:

「いや、まだ始まったばかりで分からない。4年のうちで俺らより速くなっているかもしれないだろ」

棚瀬君の言葉:

「一般だとか推薦だとか、今の記録が速いとか遅いとか、同じチームのメンバーになったのだから関係ない。練習は厳しいかもしれないが、この同級生16人が同じ陸上部の仲間として必ず一緒に卒業するんだ」

こうした仲間の熱い言葉に深く心を打たれた鈴木さんは、「お荷物部員でもやれるところまで頑張ろう」と覚悟を決めました。

また、同期の主務を務めてくれた西坂君も、タイムの遅い鈴木さんを決して見下すことなく4年間ずっと寄り添い続けてくれました。そんな仲間たちの温かい支えがあったからこそ、夏の激しい赤岳合宿をはじめとする4年間の猛練習を乗り越え無事に卒業できたのです。まさにこの「16人の絆」があったからこそでした。

卒業後も続く走りへの情熱と、樹木医としての歩み

卒業後、町田市の造園技術職として街路樹や都市公園の管理に携わった鈴木さん。2004年には樹木医の認定を受け、一般社団法人日本樹木医会の広報・編集活動にも長年貢献。現在(2026年)は東京都環境局自然環境部にて、自然公園の保全や活用計画の策定という重要な役割を担っています。

仕事に打ち込む一方で、あの日仲間と誓い合った「走ること」への情熱が冷めることはありませんでした。地道なトレーニングを重ねた鈴木さんは、福岡国際マラソンや別府大分毎日マラソンをはじめとする国内主要マラソンに多数出場。さらに富士登山駅伝にも6回出場するなど、今もなおレースに出場し続けています。

(同期のみなさん本当にありがとう!鈴木は今も元気に頑張っています)

✍️ 編集後記:引き継がれる「農大愛」と生涯現役の誇り

「あの時、仲間がかけてくれた言葉があったから、今の自分がある」

鈴木諭さんの足跡を辿ると、農大で育まれた友情がどれほど深く、一人の人生を強く支え続けているかを実感させられます。トラックの記録やスタートラインの違いを超えて認め合い、励まし合った仲間との絆。それこそが、鈴木さんが農大を愛し、55歳となった今も走り続ける最大の原動力です。休日に陸上大会のスタンドから後輩たちへ温かい視線を送りつつ、自らも風を切って走り続ける鈴木さん。その背中は、「仲間を信じ、諦めずに走り続けること」の素晴らしさを私たちに教えてくれています。

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箱根の潰えた夢を「人づくりの道」へ。
名将が紡ぐ「立派なアスリート」への教え
古川 昌道 〜 走りを超えた「人生の伴走者」 〜

スポーツを通じて人間を磨く。

中学時代に全国的な記録を塗り替える圧倒的な走りを見せ、地元・佐賀の強豪である鳥栖工業高校、そして東京農業大学へと鳴り物入りで進学した古川昌道さん。しかし、栄光のランウェイを約束されていたはずの大学時代、古川さんを待ち受けていたのは「相次ぐ故障」という過酷な現実でした。走りたい気持ちとは裏腹に悲鳴を上げる足。憧れ続けた箱根駅伝の舞台に立つ夢は絶たれ、苦悩と挫折の中で大学生活を終えることとなりました。

母校での再出発:夢を託す「名将」への覚醒

卒業後、古川さんは母校である鳥栖工業高校の監督に就任します。自身が走れなかった悔しさと痛みを誰よりも知るからこそ、選手一人ひとりの心身に深く寄り添う指導を開始。

チームを全国高校駅伝(都大路)の常連校へと育て上げ、毎年上位に食い込む全国屈指の強豪へと押し上げました。今や古川さんのもとで育った教え子たちが箱根路を駆け抜け、かつて絶たれた恩師の夢を最高の大舞台で咲かせています。

「同じ屋根の下」で伝える人間力

古川さんの指導の真骨頂は、グラウンドの上だけにとどまりません。古川さんは30年間にわたり自宅で生徒たちを預かり、奥様が手作りの食事を用意して温かく世話をするという、まさに家族のような生活を続けています。同じ釜の飯を食べ、日々の悩みや成長を間近で見守る家庭的な日常。そこで古川さんが最も大切にし、教え子たちに伝え続けている言葉があります。

「強い選手でなく立派なアスリートたれ!」

競技の速さや記録以上に、挨拶や感謝、他者への思いやりといった「人としての生き方」を徹底して説く古川さん。挫折を知るからこそ語れる人間性の重要性が、生徒たちの心に深く根を張り、社会に出てからも揺るがない強さとなっています。

✍️ 編集後記:走りを超えた「人生の伴走者」

箱根駅伝という夢の途中で大きな壁にぶつかった古川さん。しかし、その挫折こそが、多くの若者の人生を照らす名将・古川昌道を生み出す糧となりました。

単に勝利を目指すのではなく、スポーツを通じて人間を磨く。30年間、ご自宅で生徒を迎え入れ、奥様と共に温かく寄り添いながら情熱を注ぎ続けるその背中は、農大魂の真の強さを物語っています。古川さんのもとから羽ばたく若者たちは、これからも「立派なアスリート」として、人生という果てしないレースを誇り高く走り続けていくはずです。

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逆境を越えて、前へ進む。 江渕 真一 〜 耶馬渓での新たなる挑戦 〜

箱根路を駆けた不屈のランナー精神。

ご紹介するのは、高校・大学と第一線で風を切り、現在は大分県の名勝・耶馬渓(やばけい)で新たな情熱を燃やす農大長距離部OB、江渕真一さんです。高校時代には石川インターハイ5000mで10位、鳥取国体10000mで8位という華々しい実績を手に農大へ進学し、第63回箱根駅伝では7区・区間6位という見事な走りで伝統の襷(たすき)をつなぎました。

筆を投げるほどの紅葉の絶景と「極上のすっぽん鍋」

江渕さんの人生の第二幕は、彼の地元である大分県の名勝・耶馬渓から始まります。菊池寛の名作小説『恩讐の彼方に』の舞台であり、禅海和尚がノミと槌だけで掘り抜いた手掘りのトンネル「青の洞門」でも知られるこの地。秋になれば山々が燃えるような紅葉に包まれ、かつての文人・頼山陽が「あまりの美しさに、絵に描くことも文章にすることもできない」と筆を投げ打ったと言い伝えられるほど、息を呑むような絶景が広がる観光地です。
江渕さんは、この雄大な自然の中で夫婦二人三脚で旅館経営に乗り出しました。

温泉の恵みを受けた上質な味わい: 訪れる人々を魅了したのが、名物の「すっぽん鍋」です。大分ならではの豊かな温泉を活用して、じっくりと大切に育てられた上質なすっぽんは、臭みがなく旨味が凝縮されています。丹精込めて作られた極上の味は評判を呼び、紅葉シーズンともなれば、多くの観光客やファンに愛される看板料理となりました。

試練の「大脱走事件」と、不屈のランナー精神

しかし、順風満帆に見えた日々に、突如として前代未聞の試練が襲いかかります。

前代未聞の災難: 平成24(2012)年7月、当時観測史上の集中豪雨となった「九州北部豪雨」がこの地を襲いました。川の氾濫によって養殖場が甚大な被害を受け、なんと大切に育んでいた約15,000匹ものすっぽんたちが一斉に逃げ出してしまう事態が発生。当時、ニュースでも大きく取り上げられ話題となった「すっぽん大脱走事件」です。壊滅的な打撃を受けた江渕さんは、断腸の思いで旅館の経営をあきらめざるを得なくなりました。

恩讐の彼方に切り拓く道: 絶望的な状況に直面しながらも、江渕さんの心は折れませんでした。かつて禅海和尚が青の洞門をただ一筋に掘り進めたように、江渕さんもまた、箱根駅伝を走り抜いた不屈の「ランナー魂」で立ち上がります。旅館という形は畳んだものの、長年愛された至高の味を届けるため、通販事業へとシフト。今も変わらぬ情熱で、全国へ美味しいすっぽんを届けるべく奮闘を続けています。

✍️ 編集後記:走り続ける「挑戦者」

箱根路で培った「諦めない心」は、時代や形を変え、嵐を乗り越えて最高の味覚を全国へ届ける力へと昇華されています。どんなに厳しい逆風が吹こうとも、前を向いて一歩ずつ進む江渕さんの姿は、私たちに「何度つまずいても、そこから新しいスタートを切ることができる」という強い勇気を与えてくれます。

温泉の恵みと耶馬渓の豊かな自然、そして江渕さん夫妻のこだわりが詰まった極上のすっぽん鍋。ぜひご家庭で、その深い味わいと不屈のドラマを堪能してみませんか?よかったら、下記の特設通販サイトからお取り寄せしてみてください。箱根を駆け抜けた男が届ける、情熱の味をぜひご賞味ください!

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